「気づけば毎月の給与が手取り20万円を下回っている」「老後の生活のために蓄えようとしても、税金と社会保険料で消えていく」──こうした声が今、日本全国で聞かれるようになった。消費税は10%、所得税は累進課税、年金・健康保険料などの社会保険も年々上昇傾向にある。「世界でも日本は高負担国家なのか?」という疑問を持つ国民は多いが、実は問題は“税率の高さ”だけではない。この記事では、日本の税負担の実態を世界各国と比較しながら、根本的な構造問題に迫っていく。

所得に対する実質税負担、日本は中〜高水準

まず、OECD(経済協力開発機構)の統計を見ると、日本の「税と社会保険料を合わせた負担率」は、平均的な独身勤労者(年収約600万円想定)で30〜35%程度とされている。これはフランスやドイツなど欧州諸国よりはやや低いものの、アメリカ(25%以下)や韓国(20%台前半)と比べると高めだ。

とはいえ、所得税単体の税率だけを見ると、決して突出して高いとは言えない。例えば、日本の最高所得税率は45%だが、フランスは55%、ドイツも45%、スウェーデンは60%近くに達する。にもかかわらず、「なぜ日本の庶民はこれほど“取られている感覚”が強いのか」。

社会保険料が“税化”している現実

最大の原因のひとつは、社会保険料の実質的な税化である。日本では、健康保険・年金・介護保険といった「名目上の保険料」が、実際には事実上の税金として機能している。しかもこれらは、所得が一定以上であっても上限なく天引きされるケースが多い

たとえば会社員であれば、労使折半という建前だが、企業が負担する分も賃金原資から差し引かれており、実質的には「労働者が全額負担している」と言っても過言ではない。さらに、退職後に受け取れる年金や医療サービスの“質と量”が保障されているかといえば疑問が残る。若年世代ほど「払い損」の可能性が高いという分析もある。

消費税は欧州より低い?でも“逆進性”が際立つ

日本の消費税(付加価値税)は10%。これは、フランス(20%)、ドイツ(19%)、スウェーデン(25%)といった欧州諸国よりは低い数値だ。しかし、日本と欧州の間には決定的な違いがある。それは**「食料品や生活必需品への軽減税率」や「手厚い社会給付」とのバランス**である。

例えばスウェーデンでは、消費税が高い代わりに医療費・教育費・育児費用は原則無料。低所得者層への補助も充実している。一方、日本では保育料や大学学費、介護負担などが個人に重くのしかかり、「取られる割に、還ってこない」と感じやすい仕組みとなっている。

自営業・フリーランスへの“過酷な現実”

さらに注目すべきは、自営業者やフリーランスに課せられる厳しい税制である。給与所得控除がないため、実質的な可処分所得が大企業のサラリーマンよりも少なくなる構造があるうえに、消費税のインボイス制度導入により、免税事業者が淘汰される流れが強まっている。

特に問題視されているのは、年収300〜500万円前後の中堅層への圧力だ。税制上の優遇も乏しく、各種補助金の対象にもなりにくい。この“挟まれた中間層”こそが、いま日本で最も税負担に苦しんでいる階層だ。

「高負担・低福祉」という矛盾した国家像

世界各国の税制度を比較する中で、日本の最大の問題点は「高負担・中福祉、または低福祉」というアンバランスさにある。つまり、“重税国家”であるにもかかわらず、社会保障の手厚さや可視化されたリターンが乏しいという点である。

たとえば北欧諸国では、高税率を国民が納得する背景として「信頼に足る行政」「透明性の高い財政」「公正な再分配」が挙げられる。しかし日本では、防衛費の増大や無駄な公共事業、利権政治の印象が根強く、「本当に税金が有効活用されているのか?」という不信感が払拭されていない。

■ 税制改革の“本丸”はどこか?

こうした状況を抜本的に改善するには、単なる税率引き下げよりも、以下のような構造改革が必要となるだろう。

  • 社会保険料の上限設定と、若年層への優遇
  • 消費税の逆進性緩和(軽減税率や給付付き税額控除)
  • 可処分所得の拡大に資する控除制度の見直し
  • 税の使途の透明化と国民参加型予算プロセスの導入
  • 少子高齢化に対応した世代間公平の再設計

いずれも「政治の意思」と「国民の理解」が必要であり、片方が欠ければ実現は難しい。だがこのまま放置すれば、税に対する国民の信頼は地に落ち、制度全体の持続性が損なわれかねない。

「納税者としての覚醒」が求められる

税は国家を維持する血液である。しかしその流れが滞り、腐敗すれば、国家そのものの信頼が崩れる。いま私たちに求められているのは、「取られすぎだ」と嘆くだけではなく、税の中身や使われ方に目を向け、声を上げることではないだろうか。

民主主義国家において、最も大きな“政治参加”とは、実は「税金の行方を見守ること」なのかもしれない。