近年、京都や鎌倉を歩けば、あふれる観光客の波に地元住民の生活がかき消される様子に誰もが気づくようになった。観光地がその魅力ゆえに「自滅」する──いわゆるオーバーツーリズムの問題は、もはや他人事ではない。
日本ではコロナ禍を経て訪日外国人旅行者数が回復し、2025年にはコロナ前を超える勢いとも言われている。だが、その一方で観光公害への懸念も増しており、「どうすれば地域と観光のバランスを取れるのか?」という問いが突きつけられている。本稿では、国内外の事例を比較しながら、オーバーツーリズム対策の可能性と課題を考察する。
そもそもオーバーツーリズムとは何か?
オーバーツーリズム(over-tourism)とは、観光客が過剰に集中することにより、地域住民の生活や自然環境、文化遺産などに悪影響が及ぶ現象を指す。騒音・ごみ・混雑・地価上昇・交通渋滞などの「生活圧迫」が典型例である。
この問題は世界的に顕在化しており、特に有名観光地では以下のような懸念が広がっている:
- 住民の離脱(空き家の観光利用が進み、家賃が高騰)
- 観光客と住民の摩擦(マナー違反・写真撮影トラブルなど)
- 観光資源の劣化(文化財や自然環境の損傷)
世界の取り組み:バルセロナ、ベネチア、アイスランド
◯ スペイン・バルセロナ:宿泊施設規制と観光税強化
バルセロナでは、エアビーアンドビーなどの短期賃貸を厳しく制限し、住宅の商業利用に上限を設けた。また、観光税(滞在税)を段階的に引き上げ、財源を住民サービスに還元している。地域住民の声を重視した観光政策として注目されている。
◯ イタリア・ベネチア:入場料徴収と日帰り客制限
水の都ベネチアでは、観光船の乗り入れ規制や日帰り観光客からの入場料徴収が本格化。2024年からは一部の日に限り、オンライン予約と課金制度を導入。持続可能な観光の実験が続いている。
◯ アイスランド:自然保護と観光キャパシティの明確化
大自然が人気のアイスランドでは、国立公園への訪問制限や一部エリアでのガイド同伴義務化などに踏み切った。観光収益を自然保護に還元する「観光保全基金」も設け、環境との共存を図る姿勢が評価されている。
日本の現状:対応は後手に回っている?
日本でも、京都・鎌倉・富士山周辺などで観光公害の深刻化が報じられている。にもかかわらず、本格的な制度的対策は遅れているのが現状だ。いくつかの地域では動きが見られるものの、全国的に見ると以下のような問題がある:
- 観光を「経済政策」として重視するがゆえに、抑制策に踏み込めない
- マナー啓発や自主規制にとどまり、法的拘束力が乏しい
- インバウンド依存の地方自治体では、住民の声より観光収入が優先されやすい
国内事例:京都と鎌倉のアプローチ
◯ 京都:住民と観光客の分離導線づくり
京都市では、清水寺周辺での歩行者導線の分離や観光バスの乗り入れ規制を進めている。また「バス満員問題」への対応として、観光客向けに専用シャトルバスを導入する実験も始まっている。
しかし、Airbnbや民泊の拡大に対しては、ルール整備が追いつかず、地域コミュニティの分断も起きている。
◯ 鎌倉:「通行料」の議論と住民参加の仕組み
鎌倉市では、「八幡宮前の小町通りの混雑緩和策」として一時的な通行料徴収案が議論されたこともある。実現には至っていないが、地元住民・商店街・観光事業者を交えた合意形成プロセスが模索されている点は注目に値する。
対策は成功するのか?──成功の条件とは
世界の成功事例と日本の課題を照らし合わせると、オーバーツーリズム対策が“成功する条件”は以下の通りだと考えられる:
- 定量的な観光キャパシティの設定(観光客の上限を科学的に設計)
- 地域住民の意思を反映する制度設計(住民投票、地域協議会など)
- 観光税や入場料の導入と適正な使途管理
- マナー啓発ではなく、ルールとしての明文化と罰則の整備
- デジタル技術を活用した観光客流入のリアルタイム管理(予約制、人数制限)
これらを組み合わせることで、観光地の魅力を守りつつ、地域社会との共存が実現可能となる。
日本が見習うべきこと、独自にすべきこと
日本は、文化資産や自然景観を観光資源として多く持つ国でありながら、その保護や持続的活用に関してはまだ発展途上にある。海外の制度を参考にするだけでなく、**地域文化や住民意識に合った「日本型の観光調整モデル」**が求められている。
たとえば、以下のような取り組みが考えられる:
- 神社仏閣と地域の自治体が連携した「静寂エリア」設定
- 伝統行事と観光ピークを意図的に分離する日程調整
- 住民との定期協議制度(デジタル参加含む)の導入
結論:観光の未来は“制限”の中にこそある
観光地にとって、本当の豊かさとは「人がたくさん来ること」ではなく、「人が住み続けられること」である。オーバーツーリズム対策とは、観光を“止める”のではなく、“守る”ための施策なのだ。
世界の先進例と日本の現実を見比べる中で、私たちが見落としてはならないのは、地域に根ざした観光政策の視点である。そしてそれは、観光客である私たち自身のマナーと意識にもかかっている。