日本最古の歴史書『古事記』──その成り立ちは今から1300年以上前、712年に太安万侶によって編纂されたとされる。多くの日本人にとっては学校教育の一部や、神社で耳にする神話の断片としてしか馴染みがないかもしれない。しかしこの古い書物が、令和の時代を生きる私たちにとって、どれほど深い意味を持つかを改めて考える機会は少ない。

神々の物語に現代性はあるのか。『古事記』は単なる「古典」なのか──それとも「鏡」なのか。本稿では、『古事記』が語る神話の構造や精神性が、いかに今の日本社会に影響を与え、また私たちの無意識に根づいているかを探る。

神話とは何か──『古事記』の構造と意味

『古事記』は大きく3部構成になっている。

  1. 神代の巻:天地創造と神々の誕生、イザナキ・イザナミによる国生み、アマテラスとスサノオの神話など
  2. 人代の巻:天孫降臨、神武天皇の東征、天皇の系譜
  3. 応神天皇以降の巻:実在に近い天皇たちの記録

このように『古事記』は、単なる物語集ではなく、日本という国家の起源、支配の正当性、そして自然と人間の関係性を神話というかたちで描き出している。言い換えれば、日本という「国のかたち」を物語によって可視化した書物とも言える。

『古事記』が語る日本人の精神性

1. 「八百万の神」という多様性の肯定

『古事記』には大小さまざまな神々が登場する。天照大神(アマテラスオオミカミ)のような中心的な神だけでなく、山、川、風、稲、火といった自然そのものが神として描かれている。

これは、自然と共に生きるという日本人の価値観を反映していると同時に、多様性の受容という思想にもつながっている。現代においても、日本人の「対立より共存を好む」傾向、「調和」を重んじる文化は、こうした神話的感性の延長線上にあるのではないか。

2. 正義と混沌の同居──スサノオの存在

アマテラスと対をなす存在、スサノオは破壊と暴力の神とされるが、一方でヤマタノオロチを退治し、人々を救う英雄的な側面も持つ。彼は暴走し、天岩戸事件を引き起こしながらも、最終的には出雲で国造りを行い、人々に敬われる存在となる。

この矛盾したキャラクターは、日本人の中にある「善悪のグレーゾーン」「不完全さの受容」といった価値観を象徴している。すべてを白黒で断じない柔らかい倫理観──それもまた『古事記』的な精神である。

現代社会における『古事記』の影

1. 国家神道と戦後の距離感

戦前、天皇の神格化とともに『古事記』は国家のイデオロギー装置として利用された。その結果、戦後の日本社会は神話との距離を意図的に取るようになる。しかし同時に、神社参拝や季節の年中行事など、生活の中には神話的要素が色濃く残った

たとえば、初詣や七五三、厄払いなどの行事には神話に基づいた意味が込められているが、多くの人がそれを“なんとなく”行っている。この「無意識の信仰」こそが、日本人の精神文化の根底に『古事記』的な世界観が生きている証左である。

2. ローカルと神話──まちづくりと観光資源

全国各地の神社には『古事記』に登場する神々が祭られており、土地の物語と神話が密接に結びついている。これは、近年注目されている「神話ツーリズム」や「聖地巡礼」といった観光の文脈にもつながる。

神話は、単なる過去の物語ではない。地域の誇りやアイデンティティを形づくる力があり、過疎地域の再生や文化的自立の糸口ともなり得る。古事記に描かれた神話は、現代の「まちづくり」と密接に結びついている。

『古事記』から見る「今の日本のかたち」

では、『古事記』は現代日本にとって何を映し出しているのだろうか。それは以下のような構造に凝縮されている。

  • 共同体意識の源泉:村や氏族単位での信仰と血縁の重視
  • 自然との共生:破壊と再生、浄と穢れの循環思想
  • 中央と地方の緊張関係:アマテラス=大和朝廷とスサノオ=出雲勢力という構図
  • 語られることで正統化される歴史:語られること=存在の正当性という視座

これらは、現代日本が抱えるさまざまな課題──都市と地方の分断、環境問題、ナショナリズムとアイデンティティ──を読み解くうえで、神話的思考がいまだ有効であることを示唆している。

最後に──「神話を読むこと」は、未来を考えること

『古事記』は、過去の記録であると同時に、未来への問いかけでもある。神々の物語は、完璧ではなく、失敗や暴走、誤解や対立を繰り返しながら、新たな秩序と和を模索していく。その姿は、混迷する現代社会に重なる。

神話とは「真実」ではなく「意味」を語るものである。そして、意味を問い直すことこそが、現代を生きる私たちにとっての知的な営みである。『古事記』を読むことは、日本人がどこから来て、どこへ向かうのかを考えるヒントになる。

それは単なる古典の読解ではなく、「私たちとは何か」をめぐる対話であり、現代日本を見つめ直すためのレンズである。