2023年以降、訪日外国人観光客(インバウンド)の数はコロナ前を上回る勢いで回復している。新幹線や空港、人気観光地は連日混雑し、宿泊施設は予約困難な状況が続く──それは、日本経済にとって朗報であると同時に、観光公害(オーバーツーリズム)という新たな社会課題を浮き彫りにしている。

京都や鎌倉、東京・銀座、富士山周辺などでは、住民の生活環境や景観への影響、マナー違反などが問題視され、行政や地域団体は対策に追われている。しかし、観光は単なる「迷惑」ではなく、地域活性や国際理解の推進においても重要な役割を果たす。

本稿では、これまで本メディアで扱ってきた観光関連テーマの要点を整理し、**「オーバーツーリズムから共生へ」**という視点から、これからの観光のあり方を展望する。

第1章:観光公害という現実

京都・鎌倉・銀座──観光に苦しむ“名所”

いずれも日本を代表する観光地でありながら、住民からは「観光客が多すぎて生活が苦しい」「通勤通学に支障がある」「写真撮影のために敷地内に無断で入られる」といった苦情が絶えない。

観光は経済に寄与する一方で、インフラや公共空間に過度な負荷をかける。特に古都・京都では、住宅街と観光地が隣接するため、観光が生活を侵食する構造的問題が深刻化している。

詳細記事:「京都・鎌倉・銀座──観光公害が深刻化する街の共通点とは」

第2章:観光と経済──恩恵は誰のものか?

観光客は「外貨を落としてくれる存在」として歓迎される一方で、恩恵を受けるのは一部の事業者に限られ、地域住民は負担ばかり──という構図も見られる。地域の持続可能性を考えるなら、観光の利益をどう分配し、地域に還元するかが重要になる。

たとえば、観光税や入場料を適正に徴収し、その一部を清掃活動や住民向け施策に充てる制度設計が求められる。

詳細記事:「オーバーツーリズムと経済効果──観光依存は地域を救うか、壊すか?」

第3章:都市ごとの差──銀座 vs 京都の比較

東京・銀座では、観光と生活が空間的に分離されているため、観光客と住民の摩擦は比較的少ない。一方、京都では観光地が生活圏と密接に重なっており、“観光地であること”が住民生活と矛盾する状況を生んでいる。

都市の構造や政策対応の違いが、観光による影響の大小を左右している。

詳細記事:「銀座 vs 京都──インバウンド対応の差とは」

第4章:制度の限界──「働き手」と「暮らし手」の分断

観光業界では、外国人労働者に依存する傾向が強まっているが、労働環境や居住環境の整備は遅れている。観光地で“裏方”として働く人々と、“表の風景”として楽しむ観光客とのギャップは大きく、「もてなす側の生活」への視点が欠落している

これは、インバウンド政策が「経済効果」に偏重し、社会的共生や文化的理解といった側面を軽視してきた結果とも言える。

第5章:共生へのヒント──分散・教育・対話

オーバーツーリズムを克服するためには、単に観光客数を減らすのではなく、**「質の高い観光体験」**を目指す視点が必要である。

1. 観光資源の分散と地域再発見

有名観光地に集中する来訪者を、まだ知られていない地域資源へと誘導する取り組みは重要である。たとえば、地方の神社仏閣や文化施設、自然体験などを発掘・整備することで、観光の質を高めながら負荷を分散させることができる。

2. 観光客への教育とマナー啓発

パンフレットや多言語看板だけではなく、SNSや動画を活用して「なぜこの場所が大切か」「どのように振る舞うべきか」を伝える工夫が求められる。観光客を“消費者”ではなく“参加者”と捉える発想が鍵になる。

3. 住民と観光客の対話

地域住民が観光ガイドや体験のホストとなるプログラムは、観光客との相互理解を深め、共生の土台をつくる手段にもなる。観光とは「他者を迎え入れること」であり、そこには相互尊重の精神が必要だ。

最後に──“観光立国”から“共生立国”へ

観光は単なる経済活動ではない。それは、国境を越えた人と人との対話であり、文化と文化の交差点でもある。だからこそ、観光を持続可能なものとするには、「数」ではなく「質」、「利益」ではなく「関係性」に重きを置く発想の転換が求められている。

日本は今、世界中から注目され、訪問される国となった。だからこそ、訪れた人々を「客」としてだけではなく、「未来の隣人」として迎える視点が重要だ。

“観光地としての日本”から、“共生する社会としての日本”へ。
そのための一歩は、まず私たち自身が、観光の意味を問い直すことから始まる。