貯蓄ゼロ世帯と教育の問題

「貯蓄は美徳」「節約は正義」──そう教わってきた日本社会。しかし今、そんな価値観が通用しない現実が迫っている。金融庁の統計によると、いわゆる「貯蓄ゼロ世帯(金融資産非保有世帯)」の割合は、20代・30代で2〜3割にも上る。貯めたくても貯まらない。資産を持ちたくても持てない。その背景には、経済格差や物価上昇だけでなく、教育や制度の“構造的な盲点”が潜んでいる。

増え続ける「貯蓄ゼロ世帯」という現実

実態としての数字の重み

日本銀行や総務省の家計調査を見れば、現代日本の厳しい現実が浮かび上がる。例えば、単身世帯の20代で「預貯金額が0円またはそれに近い」と回答した人の割合は30%を超える。また30代でも2〜3人に1人は「緊急時に使える預金がほとんどない」とされている。家計にゆとりがなく、老後の備えはおろか、日常の予備費すら確保できない層が拡大しているのだ。

若年層ほど厳しい現状

特に目立つのは、20代~30代の若年層。非正規雇用の比率が高く、就職しても給与が上がらない。加えて奨学金の返済、住宅費の高騰、教育費・物価の上昇……「将来に向けた貯蓄や資産運用」といった悠長な話は現実味が薄い。生活するだけで精一杯、という声は少なくない。

日本の“お金教育”の空白

学校では学ばない「お金の話」

日本の学校教育では、「金融リテラシー」の授業はほぼ行われてこなかった。家計の収支、ローン、保険、税金、投資……こうした“生活と人生に密着した知識”を学ぶ機会は驚くほど少ない。家庭でも「お金の話はタブー」という雰囲気が残り、結果的に大人になっても「お金に向き合う力」が育たない。

世界との比較で見える遅れ

例えばアメリカでは、高校生の時点で株式市場やクレジットカード、金利やインフレについての基礎教育を受ける州も多い。イギリスやオーストラリアでは「お金とのつき合い方」を公教育に取り入れている。一方、日本ではようやく2022年度から高校家庭科で「資産形成」の項目が加わった程度。時すでに遅し、という指摘もある。

「貯蓄から投資へ」は実現するのか

金融資産を持たないまま“投資”を煽られる不安

近年、政府は「貯蓄から投資へ」のスローガンを掲げ、NISA(少額投資非課税制度)やiDeCo(個人型確定拠出年金)を拡充してきた。しかし、そもそも“貯蓄すらない”人々にとって、「投資」と言われても現実味がない。「積立てる原資がない」「何から始めていいか分からない」という声が大半を占めるのが実情だ。

所得が少ないと選択肢すら持てない

投資には元手が必要だ。そして、万が一の損失を受け入れるだけの余裕も必要になる。つまり、そもそも一定の“生活の安定”が前提となる。だが、非正規雇用や低所得に苦しむ世帯は、その“前提”にすらたどり着けていない。制度や政策があっても、それを使えるのは「余裕のある層」だけ──そんな格差が広がっている。

家計に潜む「見えない支出」

社会保険料・税負担が家計を圧迫

多くの若者は、「手取りが増えない」ことに疑問を感じている。その背景には、年々増加する社会保険料(健康保険・年金など)や、所得税・住民税といった“見えない支出”がある。給与明細を見ると、額面の3〜4割が天引きされていることも珍しくない。年収が上がっても手取りが増えにくいのは、この構造的な仕組みのためである。

貯金できないのではなく、“余らない”

こうした固定的な支出に加え、家賃・食費・通信費・奨学金返済など、日々の生活費も膨らんでいる。若者の間では「貯金したくても、気づけば給料日まで数千円しか残っていない」という声が多く聞かれる。つまり「貯金できない」のではなく、「そもそも余らない」家計が定常化しているのである。

「資産を持つ力」を育てるには

金融教育の再構築が急務

今後、学校教育の中で金融リテラシーを早期に育む取り組みが必要だ。小中学生のうちから「お金と人生」の関係を学ぶことで、将来の経済的自立を支える基盤を築くことができる。単なる節約術や貯金ではなく、「なぜお金が必要なのか」「どう使い、どう備えるのか」を理解する教育が求められている。

教育と社会保障は切り離せない

また、教育と社会保障政策は別々に語られることが多いが、本来は密接に結びついている。生活の安定がなければ学びに集中できないし、将来の不安が大きければ自己投資もためらう。金融資産を築く以前に、「安心して暮らせる土台」を築く制度設計こそが重要だ。

お金の不安を“学び”で乗り越える時代へ

日本人が金融資産を持てない背景には、単に「貯金が下手だから」というような単純な理由は存在しない。むしろ、教育の空白、社会保障制度の歪み、そして若年層の雇用不安定といった多層的な要因が絡み合っている。
今必要なのは、制度の恩恵を“受けられる人だけが得をする”社会ではなく、すべての人が「お金と向き合える力」を持てるような環境づくりだ。知識と実践が結びついた教育、そして“自分の経済を自分で組み立てられる”社会こそが、真の資産形成社会の第一歩である。