世界で拡大するフェンタニル問題

アメリカで猛威を振るっている合成麻薬フェンタニルは、近年”ゾンビドラッグ”とも称され、社会問題として広く報じられている。アメリカ疾病対策センター(CDC)によると、フェンタニルを含む合成オピオイドによる死者は年間数万人に上る。主な供給元は中国とされ、メキシコ経由でアメリカ本土に流入する構図が明らかとなっている。

一方、中国側は2023年以降、対米関係の悪化を受けてフェンタニルの原料輸出管理を強化したと主張しているものの、実効性を疑問視する声も根強い。アメリカでは中毒死の深刻化に伴い、フェンタニルの規制と対策強化が議会でも喫緊の課題とされている。

日本でのフェンタニル“流通”の実態は?

このような国際情勢の中、日本でもフェンタニルを巡る報道がにわかに増加している。2025年6月には、アメリカ向けにフェンタニルを密輸しようとした中国人グループが当局の捜査で摘発されたという報道がなされた。

だが、税関の公式発表によれば、フェンタニル自体の国内流通・押収は確認されておらず、「あくまで経由地として利用されただけ」という立場を取っている。たとえば保税倉庫に一時的に保管された段階では、日本国内に”入った”とはみなされず、通関手続きを経ない限りは課税や流通の対象外となる。こうした税関制度上の“例外的グレーゾーン”が今回のケースで利用された可能性も否定できない。

若者とSNS、“流行”の兆しはあるのか

一部SNS上では、「フェンタニルが若者の間で流行している」といった不正確な投稿が拡散されたが、現時点で国内の若年層におけるフェンタニル使用例や検挙件数はきわめて限定的であり、警察庁も特段の警告を発していない。

実際、厚生労働省が発表している薬物乱用統計においても、2024年度の段階でフェンタニルは乱用薬物の中に名を連ねておらず、国内における危険ドラッグとしての実態は皆無に近い。

したがって、SNS上の懸念は“予防的な警鐘”として理解される一方、実態を伴わない過剰反応ともいえる。アメリカにおける“ゾンビ状態”の映像が拡散される中、日本国内に同様の事例が存在しない点は冷静に見極める必要がある。

政府と報道の立場:何が本当で何が誤解か

日本政府は、フェンタニルに関する国際的な懸念には真摯に対応しつつも、「国内流通の確認はない」との見解を繰り返している。税関や財務省が監視体制の強化を図る方針を示しており、「情報共有と監視網の精緻化」が現実的な対応として進められている。

ただし、「保税倉庫に入っている時点では輸入されたとはみなされない」という制度的側面が、国際的な批判を回避するためのロジックとしても利用されているとの指摘もある。日本が最大の対米債権国であることを考えれば、アメリカ政府としても対日非難には一定の抑制が働くことは想像に難くない。

また、日本国内の大手メディアは事件性のある報道には敏感だが、保税制度の詳細や国際法上の解釈にまで踏み込んで報じることは少ない。結果として、一般国民には「フェンタニル=日本にも危険が迫っている」といった単純な構図で認識されがちである。

過剰反応ではなく、冷静な認識を

現時点で、日本国内におけるフェンタニルの“流行”や“若者への蔓延懸念”は現実的とはいえない。SNS上で拡散される不安は、アメリカ発のショッキングな映像に強く影響されており、日本の実情とは乖離している。

日本政府が主張する「国内流通の確認なし」という立場は、国際的には部分的に批判される可能性があるものの、法制度上は成立している。したがって、社会として必要なのは、パニック的な反応ではなく、制度や実態を冷静に把握する姿勢である。

今後も国際的な密輸経路として日本が利用されるリスクはあるが、それを防ぐためには、制度の穴を塞ぐと同時に、正確な情報を国民に届けるメディアの役割が一層問われていくだろう。