「年金積立金98兆円の黒字」とは何を意味するのか?
2024年7月4日、日経新聞が報じた「GPIFが過去5年間で98兆円の黒字をあげた」というニュースは、一見して明るい話題に思えるかもしれません。GPIFとは、年金積立金管理運用独立行政法人(Government Pension Investment Fund)の略称で、公的年金(厚生年金・国民年金)の積立金を市場で運用する政府機関です。
つまり、私たちが将来受け取る年金の一部を「安全かつ効率的に増やす」ことを目的として、国内外の株式・債券・不動産などに投資している巨大ファンドです。その運用資産は2024年度時点で約250兆円。世界最大級の機関投資家でもあります。
今回の報道によれば、2020年度から2024年度までの5年間で、累計98兆円の運用益を上げたとのこと。想定を大きく上回る成果で、当初予測されていた年金積立金の水準(約223兆円)を大きく上回り、290兆円を超えたとされています。
株高と円安が追い風──利益の中身を読み解く
この好成績の背景には、コロナ後の世界的株高、米国の巨大テック企業の成長、そして円安という為替要因があります。
実際、5年間の収益のうち、およそ36兆円は「円安効果」だと日経新聞は分析しています。これは、保有している外国資産の評価額が、円の価値が下がることで見かけ上上昇したものです。いわば「為替マジック」による部分もあるのです。
以下が直近1年間(2024年度)の主な収益状況です:
- 外国株式:+4.3兆円
- 外国債券:+1.0兆円
- 国内株式:▲0.8兆円
- 国内債券:▲2.8兆円
つまり、収益の大半は「海外資産」から生まれており、国内資産の運用はむしろマイナスでした。日本の株式市場が世界に対して出遅れている現状も垣間見えます。
年金が潤うの? それとも関係ないの?
ここで気になるのが「私たちの年金が増えるのか?」という素朴な疑問です。しかし、残念ながら答えは「すぐには増えない」です。
GPIFが運用している積立金は、将来100年にわたる年金給付のために備えた“長期のストック”です。そして、現に支払われている年金の財源の約9割は、現役世代が支払う保険料と国の税金(国庫負担)によってまかなわれています。積立金の出番は、あくまで不足が生じたときの補填です。
したがって、今回の運用益が直接「年金額アップ」や「支給開始年齢の引き下げ」につながることはありません。
では、98兆円黒字の意味とは何か?
このニュースの本質は、「日本の年金財政はまだ破綻していない」という一定の安心材料を提示している点にあります。なかでも注目すべきは、2019年の財政検証で「2024年度末には223兆円程度」と見込まれていた積立金が、実際には70兆円も多い290兆円を超えているということ。
これは単なる数字の誤差ではなく、社会保障制度全体への信頼性を左右する結果です。少子高齢化の進行に不安を抱く国民にとって、GPIFの好調な運用成績は“制度延命”の象徴でもあるのです。
それでも警戒は必要──リスクと向き合う
GPIF自身もこの「黒字」に浮かれてはいません。実際にGPIFが行ったストレステストでは、「リーマン・ショック級の危機」が起きた場合、現在の資産構成では33%、約80兆円が一時的に失われるという試算結果が出ています。
また、株式などリスク資産の比率を高めたことで、市場の波乱により大きな影響を受けやすくなっているのも事実です。内田理事長も会見で「トランプ関税や地政学的リスクによる資本市場の不確実性が高まっている」と発言しており、先行きへの警戒感をにじませました。
国民の無関心が最大のリスク?
今回の報道を受け、SNSなどでは「GPIFって何?」「運用益があるなら年金もっとくれ」といった反応も散見されました。しかし、多くの国民が自分の年金財政に無関心であることが、実は最大のリスクなのかもしれません。
投資によって将来のための資産を育てるというのは、民間の企業年金や個人のiDeCo(個人型確定拠出年金)と本質的には同じ考え方です。国が運用しているからといって、無限の安心があるわけではありません。
むしろ、積立金の“余力”をどのように使うか、どう制度設計に活かすかは、選挙や政治に対する私たちの意思に委ねられているのです。
年金制度を“他人事”にしないために
GPIFの98兆円黒字は確かにすばらしい成果です。しかしそれは、制度の健全性を「少しだけ延命した」にすぎません。積立金の増加がそのまま生活の安定に直結するわけではないことを理解しつつ、国民一人ひとりが年金制度の在り方に関心を持ち、必要な政策判断を支える立場であることが求められています。
公的年金とは「国家最大の仕組み」でありながら、実際には私たちの未来そのものです。GPIFの好調を“いいニュース”として聞き流すのではなく、「この制度を守るにはどうするか」という視点で考える必要がある──それが今、最も問われていることなのです。