はじめに──再び活気づく観光地、消えていく生活の気配

2023年以降、コロナ禍を乗り越えた日本の観光業は急速に回復し、東京・京都・大阪・福岡などでは再び外国人観光客の姿が溢れている。観光収入の回復は経済にとって朗報である一方で、現地住民にとっては生活空間の変質という形で暗い影を落としつつある。

「観光地に住めなくなった」。そう語る住民の声は全国で相次いでいる。地価の高騰、民泊の急増、騒音・ゴミ・交通渋滞──これらは単なる副作用ではなく、都市の構造そのものを変えてしまう現象である。

本稿では、「住めない街」化が進む実態とその構造的な背景、そして求められる政策的対応について、多角的に検証する。

インバウンド回復はどこまで進んだのか?

2024年の訪日外国人旅行者数は年間3,300万人を突破し、コロナ前の水準にほぼ回復。さらに2030年には政府目標として6,000万人が掲げられており、観光産業は再び「国家戦略」として推進されている。

この結果、特に以下の都市では観光地化が加速している:

  • 京都(祇園・嵐山・清水寺周辺)
  • 東京(浅草・新宿・銀座・築地)
  • 大阪(道頓堀・新世界・天王寺)
  • 福岡(中洲・博多・太宰府)
  • 沖縄(那覇国際通り・北谷町・石垣島)

観光地に集中的に投資され、駅前・旧市街地が「インバウンド仕様」へと変貌していく過程で、地元住民の暮らしは徐々に押し出されていく

「住めない街」化とは何か?

「住めない」とは、物理的に住めないのではなく、「住み続けることが難しい状況に追い込まれる」という意味である。具体的には以下の要素がある。

① 家賃・地価の高騰

インバウンド需要を見越したホテル・民泊・観光店舗の乱立により、住宅用物件が減少。特に賃貸物件は価格が跳ね上がり、若年層や高齢者が退去せざるを得ないケースが増えている。

② 民泊トラブルと近隣関係の崩壊

「隣の部屋が毎週違う外国人グループになる」「夜中に騒がれる」「ゴミの出し方を守らない」──こうした声が住民から相次ぐ。かつてあった「地域の見守り」や「静けさ」が失われつつある。

③ 商店街の観光地化

観光客向けの飲食店や土産物店が増え、地元住民向けのスーパーやクリニックが消える。「毎日の買い物や通院が不便になった」という高齢者の声は深刻だ。

④ インフラの過密と生活圧迫

公共交通・ゴミ処理・水道使用などのインフラは元来「住民数」に応じて設計されており、観光客の急増で過負荷となる。住民がバスやタクシーに乗れない、病院が混雑するなど生活の質が著しく低下する事態も起きている。

京都に見る“観光公害”の実態

京都市は「世界有数の観光都市」であると同時に、「住民流出率の高い都市」でもある。

  • 2022年時点で、京都市中心部の住民人口は1990年代比で約15%減少
  • 一方、民泊施設は2023年時点で5000件超(届け出ベース)

市内の住民からは、「朝6時にスーツケースを転がす音で目が覚める」「学校に行く子どもが外国人観光客の写真に撮られる」などの声が上がっている。文化財保護・景観保全だけでなく、生活の尊厳を守る戦いが始まっている。

外国資本による不動産買い占めの波

「住めない街」化の背景には、外国人投資家による不動産取得の急増もある。特に北海道・京都・沖縄などで、リゾート用地や空き家が次々と買い取られており、日本人が価格競争で太刀打ちできなくなっている。

この現象は観光インフラ強化という名目で歓迎されがちだが、実態としては**地域コミュニティの空洞化と土地の“収奪”**をもたらす危険性がある。

「住む」と「訪れる」の両立は可能か?

本来、都市は「訪れる人」と「暮らす人」が共存する空間であるべきだ。しかし現実には「どちらを優先するか」という問いが避けられない局面が増えている。

◯ バルセロナの規制に学ぶ

スペイン・バルセロナでは、観光過密による住民離れが深刻化したことを受け、以下の施策を導入:

  • 民泊のライセンス制・件数制限
  • ホテル建設の総量規制
  • 「地元住民ファースト」のゾーニング導入

結果として、観光収入の総量は減らさずに、住民満足度の改善が見られた。

◯ 日本での導入可能性

日本でも、「生活インフラ保全」「定住者優遇」「住居系地域での民泊制限」などのルール作りが急務である。

結論──“誰のための街か”を問い直すとき

観光による経済効果は確かに大きい。しかしそれが住民の生活基盤を壊してしまっては本末転倒である。

「住めない街」化とは、ただの副作用ではなく、都市政策の設計ミスである可能性が高い。インバウンド戦略の再構築は、単に「数を戻す」ことではなく、「暮らしとの調和を取り戻す」ことを目標とすべきである。

そして、最も重要なのはこの問いだ──「観光地を残すか、生活を残すか」ではなく、「どのように両立させるか」。

それが、これからの日本の都市が直面する、もっとも本質的な選択である。