はじめに──「安心して暮らせる国」は幻想なのか

ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエル・中東情勢の不安定化、世界的なインフレ──2020年代以降、私たちの暮らしは外的要因にますます翻弄されるようになっている。

そのなかで再認識されているのが「自給率」の問題だ。食料もエネルギーも、私たちの暮らしの根幹を支える基盤だが、日本はそれらをどれだけ“自分の国でまかなえている”のだろうか?

2025年を迎える今、エネルギーと食料の自給率を改めて見つめ直すことで、日本の脆弱性と未来の選択肢が浮かび上がってくる。

食料自給率は38%──世界でも異例の低さ

農林水産省が公表している**日本のカロリーベース食料自給率は、2022年度時点でわずか38%**である。つまり、国民が摂取しているカロリーのうち、6割以上が海外に依存している状態だ。

■ 主な輸入品目と依存先

  • 小麦(アメリカ・カナダ・オーストラリア)
  • 大豆(アメリカ・ブラジル)
  • トウモロコシ(主にアメリカ)
  • 食肉(牛・豚・鶏ともに輸入多い)
  • 飼料用穀物(畜産自体が輸入依存)

この状況は、国際物流や為替、国際情勢に左右されやすい脆弱な構造であることを意味している。

エネルギー自給率は12.4%──化石燃料の輸入依存

一方、資源エネルギー庁によると日本の一次エネルギー自給率は2022年度で12.4%。これもまた、OECD諸国の中で最低レベルだ。

■ エネルギーの主な構成

  • 石油:中東依存率 約90%
  • 天然ガス:豪州・中東・ロシアなどから輸入
  • 石炭:オーストラリアなど
  • 再生可能エネルギー:約12%程度(うち水力が主)

さらに、原子力は福島第一原発事故以降、大幅に稼働を制限されており、かつての“国産エネルギー”としての機能を果たしていない。

なぜ日本の自給率はここまで低いのか?

① 戦後の経済優先政策

高度経済成長期以降、日本は「安く大量に輸入し、産業を回す」モデルを推進してきた。農業やエネルギーの自給は軽視され、海外依存が常態化した。

② 農業の担い手不足と耕作放棄地

少子高齢化により、農業就業者の平均年齢は70歳近く。若者の農業離れが進む一方、耕作放棄地が全国で増加している。

③ エネルギー政策の迷走

原発政策の是非や再エネ普及の遅れなどにより、日本は明確なエネルギー戦略を持てないまま時間が過ぎてしまった。太陽光や風力発電の導入は進むが、送電網の整備や蓄電技術が追いついていない。

世界情勢が突きつける“自国でまかなえないリスク”

2022年以降のウクライナ戦争やガザ紛争は、「輸入に頼るリスク」を改めて浮き彫りにした。小麦や肥料の価格は急騰し、日本国内のパンや麺類の価格も軒並み上昇した。

また、中東有事の再燃や中国との対立が深まるなか、シーレーン(海上輸送路)が封鎖されれば、日本は瞬く間に燃料・穀物・食肉の供給難に陥る可能性がある。

このような状況において「経済安全保障」という観点からも、自給率の回復は国家的課題と言える。

自給率向上に向けた取り組みと限界

▶ 食料分野での取り組み

  • 地産地消の推進:地域の農産物を地域で消費する流れが強まる
  • スマート農業:AI・ドローンによる省人化技術の導入
  • 農地集約化・法人化:個人農家から企業的経営への転換

▶ エネルギー分野での動き

  • 再生可能エネルギーの普及加速
  • 原子力の再稼働議論の再燃
  • EVと蓄電技術への投資

ただし、いずれも「急激な自給率向上」にはつながっていない。なぜなら、制度・技術・人材・予算のすべてにおいて、一朝一夕で変えられない構造問題が横たわっているからだ。

私たちは何ができるのか?

このような大きな構造的課題に対して、私たち一人ひとりができることは限定的かもしれない。しかし、以下のような視点を持つことで、社会の流れを変える一助になるだろう。

✅ 食料に対して

  • 地元産の農産物を積極的に購入する
  • フードロスを減らす
  • 季節野菜や伝統野菜を選ぶ

✅ エネルギーに対して

  • 節電意識を持つ
  • 省エネ家電を選ぶ
  • 太陽光発電や蓄電池の導入を検討する(可能な場合)

また、投票や声によって、エネルギー・農政の方向性に関心を示すことも、最も地に足の着いた「行動」だろう。

結論:自給率は“平時にこそ問われる安全保障”

エネルギーも、食料も、私たちの暮らしを維持する根本である。そして、いざというときに必要なのは、カネでも軍事力でもなく「自前でまかなえる力」である。

国のかたちが変わりゆく今こそ、「自給率」という指標を表面的な数値ではなく、“暮らしのリスクの物差し”として捉え直す必要がある。

危機が起きてからでは遅い。だからこそ今、平時のうちに、備えを始めなければならないのだ。