はじめに:観光都市の光と影
「観光立国日本」。このフレーズが広く使われるようになって久しい。インバウンド政策の後押しもあり、日本を訪れる外国人観光客は年々増加している。とりわけコロナ禍が明けた2023年以降は、京都や鎌倉、銀座といった名所に再び多くの観光客が戻り、そのにぎわいはかつてを上回る勢いさえ見せている。
だが一方で、その裏には観光公害(オーバーツーリズム)と呼ばれる新たな社会問題が静かに、そして確実に広がっている。美しい景観、歴史的建造物、落ち着いた街並み──そうした魅力に惹かれて訪れた人々が、皮肉にもその街の静寂や暮らしを壊している現実がある。
この記事では、観光公害が深刻化する「京都」「鎌倉」「銀座」の現場に焦点を当て、なぜこれらの都市に共通して問題が発生しているのか、その背景と共通点、さらには今後の対策について掘り下げていく。
それぞれの現場で起きていること
京都──「日常」が非日常に変わった街
京都は、日本が世界に誇る観光都市である。清水寺や金閣寺、伏見稲荷など、世界遺産級の観光資源が豊富にあり、訪日外国人の「行きたい場所ランキング」でも常に上位に入る。
だが、観光客の増加に伴い、地元住民の生活圏が侵食される事態が相次いで報告されている。たとえば「祇園」の花見小路では、舞妓を無断で撮影したり、路地裏で大声を出す外国人観光客が増え、2023年には「一切の撮影禁止」の看板が立てられた。
また、住宅地にまで広がる民泊施設の急増により、家賃の上昇や地域コミュニティの分断が進んでいる。通学路に観光バスが入り、児童の安全が脅かされるという事例まで起きているのだ。
鎌倉──観光資源と住環境のバランス崩壊
鎌倉もまた、長谷寺や大仏、鶴岡八幡宮などが立ち並ぶ歴史都市として、観光客に人気がある。だが、その一方で市街地の道路は狭く、交通インフラが観光需要に対応しきれていない。
「江ノ電に乗れない」「歩道が混みすぎて歩けない」「ゴミのポイ捨てが多い」──これらは観光シーズンに訪れた住民の生の声だ。
鎌倉市は対策として、特定エリアにおける観光バスの進入制限や、一部施設の事前予約制を導入しているが、それでも問題の根は深い。観光の“質”を維持しながら、地域住民の生活とどう共存させるかが課題となっている。
銀座──買い物の街から撮影の街へ
一見、銀座は他の2都市とは異なり、寺社仏閣や自然景観を持たない「商業都市」に見える。だが、ここにも明らかな観光公害が広がっている。
ラグジュアリーブランドの店前では、連日外国人観光客が列をなし、自撮り棒を振り回す姿が当たり前の風景となっている。歩道の半分を占拠する団体客、大声での通話、ゴミの散乱──これらは地元で働く人々や買い物客にとって大きなストレスだ。
さらに、観光バスが停められる場所が限られているため、路上駐車が交通を妨げ、歩行者との衝突事故のリスクさえある。銀座という街の「落ち着き」や「品格」が、にわか観光地化によって揺らいでいる。
共通点1:「人気がある」ということの落とし穴
京都・鎌倉・銀座に共通する最大の特徴は、「観光地としての人気が高すぎる」という点である。
Google検索、SNSでの映え情報、YouTubeでの旅行Vlogなど、デジタルメディアの拡散力により、観光客の数は従来の想定をはるかに超えるスピードで増加している。そして人が集まりすぎると、街の「受け入れ能力」を超えてしまう。
本来の魅力──静寂、秩序、文化的奥行き──は、大量消費の中で失われやすい。「本物の日本を見たい」という期待が、「ただの観光資源の消費」へとすり替わってしまうのだ。
共通点2:インフラと規制の限界
三都市に共通するもうひとつの特徴は、近代的な都市インフラや規制システムが、観光需要の急増に対応しきれていないという点である。
京都と鎌倉は、それぞれ千年以上、八百年以上の歴史を持つ都市であり、街の基盤そのものが現代の観光圧力を想定していない。道幅は生活道路レベルに留まり、観光バスや大人数の歩行者を同時に受け入れる構造にはなっていない。さらに、鉄道やバスなどの公共交通機関も、もともとは住民の通勤・通学を主目的として整備されたものであり、観光客向けの大規模運行や導線分離には限界がある。
また、住宅と観光施設の距離が極端に近いことも大きな問題だ。観光スポットのすぐ裏に一般住宅が建ち並び、早朝から深夜に至るまで観光客の往来や騒音に晒される。商業・宗教・住宅・観光という異なる機能が混在する都市構造は、日本らしい文化的風景の一部として評価される一方で、観光が一定の閾値を超えると調和が崩れ、摩擦が生じやすくなる。
一方、銀座は近代的かつ商業に特化した都市構造を持ち、観光客の大量受け入れにも耐えられるインフラを備えている。しかしその反面、地元住民や生活者という存在がほとんどいないため、地域の価値観や日常的な視点から街の在り方を問い直す力が働きにくい。その結果、街の方向性が「観光消費」や「短期的な商業的成功」へと過度に傾きやすく、銀座本来の品格や文化性が徐々に失われていくという懸念がある。
このような構造の下では、突発的な観光ブームやインバウンド需要の変動に対して柔軟な対応が難しい。アクセス制限や行動規制を強化すれば観光産業が打撃を受け、緩めれば今度は住民生活が疲弊する。「規制強化か経済優先か」という板挟みの中で、明確な出口を見出せない自治体が多いのが実情だ。
共通点3:地域コミュニティと観光業の「温度差」
どの都市にも共通して言えるのは、観光業を営む人と、観光客と関わらない住民との間に「温度差」があることだ。
観光業者にとっては来訪者数が増えるのは歓迎だが、静かに暮らしたい住民にとっては迷惑になることも多い。特に民泊が入り込むことで、地域コミュニティの顔ぶれが変わり、治安への不安が増すケースも見られる。
対策への視点:観光客の“質”を変える発信力
観光公害への根本的な対策は、「数」ではなく「質」を変えることである。つまり、観光客がその街でどう振る舞うべきか、どこに行くべきかを、受け入れ側が丁寧に導く必要がある。
京都では、観光客向けに「舞妓への接し方」や「神社での作法」などを説明するガイドを作成している。鎌倉では、一部の施設で予約制を導入し、混雑を防いでいる。銀座でも、観光バスの乗降エリアを指定し、歩道の安全確保を進めている。
いずれも「観光を歓迎しつつ、秩序を守る」というバランスの取れた対応だ。
共存への道は“価値観の共有”
観光公害の本質は、「価値観の衝突」にある。
訪れる人は非日常を求め、住む人は日常を守りたい。だが、どちらも街を形作る大切な構成要素である。ならば必要なのは、“マナー”の押し付けではなく、“価値観”の共有だ。
京都・鎌倉・銀座──これらの街が直面する課題は、やがて日本中の観光地に波及していく。いま求められているのは、「観光大国」ではなく、「共生大国」としてのモデル構築である。