かつて観光は、地域振興の切り札と信じられていた。人口減少、高齢化、産業衰退に悩む地方自治体にとって、外から人を呼び込み、お金を落としてもらうことは最もわかりやすい「成長戦略」だった。しかしその一方で、近年では“観光公害(オーバーツーリズム)”という言葉が日常的に語られるようになってきた。観光客の増加が、住民の暮らしを圧迫し、地域の文化や景観を破壊する──そんな矛盾が顕在化している。

経済効果と生活環境。その両立は可能なのか。観光に依存する社会の未来像を、改めて考えてみたい。

観光がもたらす経済的メリット

まず、観光がもたらす恩恵は確かに大きい。地方の宿泊業、小売業、飲食業にとって、観光客はまさに「お金」を落としてくれる存在であり、税収や雇用にも貢献する。観光庁によれば、2023年のインバウンド消費額は約5兆円に達し、コロナ禍以前の水準を上回った。

特に訪日外国人による支出は大きく、宿泊費に加え、飲食、買い物、交通、娯楽体験など多方面に波及する。京都・大阪・東京などの大都市はもちろん、金沢、広島、福岡、沖縄といった地方都市も恩恵を受けている。

観光客数の増加は、地域ブランドの向上にもつながり、都市の再開発やインフラ整備の名目となることも多い。つまり、観光は「地域にお金を呼び込む装置」として、短期的には非常に有効に機能する。

観光公害という“副作用”

しかしその陰で、観光の負の側面が表面化しつつある。特に問題視されているのが、住民の生活環境が損なわれる「観光公害」である。

京都に見る典型的事例

例えば京都では、外国人観光客によるマナー違反、バスの混雑、騒音やゴミ問題、宿泊施設の乱立による家賃高騰など、地元住民の暮らしがじわじわと侵食されている。市民の中には「観光客のいない朝にしか外を歩けない」「普段使っていた銭湯が外国人向けになった」と語る人もいる。

これは単なる混雑の問題ではない。公共交通機関が機能不全に陥ったり、地元のスーパーが土産物屋に変わったりすることで、日常生活そのものが「観光客向け」に塗り替えられていくのだ。

観光地の“商品化”がもたらす文化の劣化

さらに深刻なのは、地域文化や自然が「売れるもの」として歪められてしまうことだ。伝統的な祭りが商業イベント化され、神聖な場所が「インスタ映えスポット」として軽視されるケースも少なくない。地域のアイデンティティが薄まり、住民が「自分たちのまちではない」と感じ始めると、それは観光の“成功”ではなく“喪失”を意味する。

なぜ観光依存が進んだのか?

観光依存が加速した背景には、日本の地方自治体が置かれた財政的・構造的な事情がある。

まず、地方交付税や補助金に依存する脆弱な財政構造がある。独自の産業が育たない地域にとって、観光は「唯一の現金収入」として期待されやすい。また、自治体の職員や議会も、短期的な実績を求められる中で、観光客数や宿泊者数といった“わかりやすい指標”に頼りがちだ。

加えて、国の観光政策も追い風となってきた。インバウンド推進、ビザ緩和、国際空港の整備、IR(統合型リゾート)構想など、国策として「観光立国」が掲げられてきた以上、自治体がこれに乗らざるを得ない構造がある。

観光と地域社会の“適切な距離感”とは?

では、観光の経済効果を享受しつつ、観光公害を防ぐにはどうすればよいのか。その答えの一つは、**「量から質への転換」**である。

1. 観光客の数ではなく、質と滞在時間を重視

訪日観光を「爆買い」型から「体験」型、「消費」から「交流」へとシフトすることで、訪問者数を抑えつつ経済効果を維持できる可能性がある。農泊や文化体験、地域の人との対話を軸にした「滞在型観光」はその代表例であり、地域への理解やリピーター化にもつながる。

2. 観光計画に住民の声を反映させる

一部自治体では、観光計画の策定段階から地元住民を巻き込み、「どのくらいまで受け入れるか」というキャパシティ・マネジメントを行っている。これは単なるハード整備ではなく、地域の価値観や許容度を尊重するプロセスだ。

3. 観光以外の経済的柱を育てる

そもそも観光に過度に依存しないためには、地域の持続可能な産業構造を再構築する必要がある。農業、林業、地場産業、リモートワーク誘致など、「住民のためのまちづくり」を観光より優先すべきだという視点も見直されつつある。

「観光は地域を救うか、壊すか」の答え

観光は、地域を救う可能性を秘めている。しかし、使い方を誤れば、地域を蝕む毒にもなりうる。大切なのは、観光が目的ではなく、手段であることを見失わないことである。

観光とは本来、「他者と出会い、互いを知ること」から始まるはずだ。その営みが地域の誇りを再確認させ、外の人にも中の人にも価値ある時間をもたらすなら、それは本物の観光だろう。

経済指標だけを追い求めた「観光立国」の時代は、すでに終わりを迎えつつある。これからは、地域と観光の新たな関係性──共に生き、共に育つパートナーとしての在り方を、真剣に模索すべきときである。