「ここ数年、給料は少しずつ上がっているはずなのに、生活はなぜか苦しい」。
そう感じている人は少なくないだろう。確かに、企業の賃上げや最低賃金の引き上げが報じられてはいる。しかし、日々の買い物や光熱費、保険料の支払いに直面する中で、財布のひもは一向に緩められない。日本の家計を蝕む「見えない負担」とは何か。本記事では、「実質賃金」に焦点をあて、数字では見えにくい生活のリアルを掘り下げていく。
実質賃金とは?──名目と現実のギャップ
まず「実質賃金」という言葉の意味を確認しておこう。
実質賃金とは、物価変動を考慮して調整された賃金のことを指す。対して、企業が労働者に実際に支払う給与金額が「名目賃金」である。たとえ給料が10%増えても、物価が15%上昇していれば、実質的には生活が苦しくなっている──それが「実質賃金が下がる」という現象だ。
つまり実質賃金とは、「給料の伸び」から「物価の伸び」を差し引いた生活の本当の豊かさの指標だ。実質賃金が下がっているとは、給与の額面は変わらなくても、買えるモノや使えるサービスが減っている状態を意味する。
止まらぬ物価上昇と実質賃金の低下
2022年以降、日本の消費者物価指数(CPI)は上昇傾向を強めた。
円安の進行、エネルギー価格の高騰、食品・日用品の値上げ──私たちはこれらを日々の買い物で実感している。たとえば牛乳1本や食パン1斤といった生活必需品ですら数十円単位で値上がりし、「ちりも積もれば」で家計への負担は膨れ上がる。
一方、名目賃金は企業によってばらつきが大きく、特に中小企業や非正規労働者の給与は伸び悩んでいる。厚生労働省の統計によれば、2023年度の実質賃金は前年よりも約2%下落しており、これは物価上昇に賃金が追いついていないことを示している。
政府が「30年ぶりの高い賃上げ率」と強調しても、それが「生活の楽さ」につながっていないことは、家計簿をつけている人ほど強く感じているはずだ。
なぜ生活は苦しいのか──家計を圧迫する“見えない支出”
日々の支出は「物の値段」だけではない。
家計を圧迫しているもう一つの大きな要因が、社会保険料や税負担の増加である。
特に注目すべきは「控除後の手取り額」が目減りしていること。年収は横ばいでも、健康保険料、年金保険料、住民税などの負担割合がじわじわと増えており、可処分所得(自由に使えるお金)が実質的に減っているのだ。たとえば、月収30万円の会社員でも、実際に手元に残るのは20万円台前半というのが現実である。
さらに子育て世代では、保育料や教育費、習い事や塾などの出費が家計を直撃する。高齢者に近づく世代では、介護保険料や医療費の負担が重くのしかかる。つまり、人生のどのステージでも「見えない支出」が増え続けているのだ。
「働いても豊かになれない」日本型構造の根深さ
なぜ日本ではここまで“豊かさの実感”が乏しいのだろうか?
その一因には、長時間労働と低生産性のミスマッチがある。
OECDの比較によると、日本は労働時間が長いわりに労働生産性が先進国で最低水準というデータがある。「働いても報われない」という構造は、ただの精神論ではなくデータが裏づけている現実だ。
また、非正規雇用者の割合が増え、正社員と比べて賃金水準が大幅に低いままとなっていることも所得格差を拡大させている。全体の賃金平均を押し下げる構造が変わらない限り、実質賃金の底上げは難しい。
海外と比較して見える“暮らしの重み”
日本の労働者の実質賃金は、先進国の中でも下位に位置している。
たとえばドイツやフランスでは、物価上昇に対応した賃上げ交渉が活発であり、労働組合の交渉力も高い。一方、日本では「空気を読む」「波風を立てない」という企業文化の中で、従業員が声を上げにくい。
また、住宅費や教育費に対する補助の手厚さ、最低賃金の地域間格差など、政策レベルの違いもある。**「日本の生活は静かで治安も良いが、経済的にはしんどい」**という声は、国際比較の中でも際立っている。
打開策はあるのか?生活を守るためにできること
では、我々がこの苦しい家計状況から抜け出すためにできることは何か。
一つは、収入を「増やす」ことだが、それが難しい状況にある以上、「支出を最適化する」ことに注力する必要がある。光熱費や通信費の見直し、サブスクの整理、保険の再検討など、固定費を見直すだけでも家計の圧縮効果は大きい。
また、今後の教育や老後資金に備えるためにも、少額からでも投資や貯蓄の習慣を持つことが重要になってくる。副業やスキルアップも、長期的に見れば家計改善の布石になるかもしれない。
そして何より、この苦しさは自分だけの問題ではないということを社会全体が認識する必要がある。家計の苦しさは、個人の努力不足ではなく、構造的な問題である。
終わりに──数字に表れない「暮らしの実感」を伝えるために
私たちの暮らしは、統計データや平均値では語れないリアルがある。
実質賃金がわずかに上がったとしても、それが生活の実感につながっていなければ、意味がない。逆に、目立った統計に変化がなくても、暮らしが厳しくなっていることもある。
だからこそ、「家計の苦しさ」を可視化し、社会で共有することには意味がある。個人の工夫と努力だけで解決できない現実に対し、国や社会全体がどう向き合うかが問われている。
「働いても生活が楽にならない」その声に、耳を傾ける時が来ている。