はじめに──参院選は「空気」で決まるのか

2025年夏、日本は再び選挙の季節を迎えている。今回の参院選も例年通り「争点なき選挙」と言われることが多いが、それは本当だろうか。政治家の演説も、メディアの報道も、「無難な言葉」に終始しているように見える。

だが私たちの暮らしはどうだろう。物価は上がり、給料は伸びず、将来への不安は増すばかり。こうした現実を前にして、真の争点はむしろ「見えにくくされている」と言うべきかもしれない。

本稿では、参院選2025における「本当の争点」を、国民の目線から探っていく。

メディア報道が語らない“争点なき選挙”の実態

「争点がない」とは、誰にとってのことなのか。テレビの討論番組では、主要政党の代表者が並び、判で押したように「経済再生」「安全保障」「子育て支援」といったキーワードを並べる。だが、肝心なのは中身だ。

・消費税は上がるのか
・移民はさらに増えるのか
・年金は本当に持つのか

こうした疑問に対し、明確な答えを出す政党はほとんどない。むしろ、「争点化させない努力」が続けられているようにも見える。理由は明白だ。争点が明確になれば、選挙で負けるリスクがあるからである。

本当の争点①:実質賃金の低下と生活苦

国民の実感に最も近い問題は、「生活の苦しさ」だ。名目賃金が上がっても、物価の上昇がそれを上回れば、実質的には収入が減っているのと同じ。総務省や厚労省の統計でも、実質賃金はコロナ前の水準を回復していない。

にもかかわらず、与野党ともに「経済再生」とは言うものの、「実質賃金をどう上げるか」という具体策は乏しい。税制の見直し、公共料金の抑制、最低賃金の引き上げなど、議論すべきポイントは山ほどあるのに、選挙戦では曖昧にされている。

本当の争点②:外国人労働者と移民政策

日本では「移民政策は取らない」というのが建前だが、現実にはすでに多くの外国人が働き、生活している。2024年には永住権取得要件の緩和が議論され、実質的な移民政策への転換が進んでいる。

この問題は、労働力不足の解消だけでは済まない。地域社会や治安、医療制度などへの影響も含め、国全体のあり方に関わる重大なテーマだ。それにもかかわらず、各政党とも「外国人材の受け入れ拡大」か「現行制度の維持」程度の表現にとどめ、正面からの論争を避けている。

本当の争点③:社会保障と年金のゆくえ

少子高齢化が進む中、年金や医療などの社会保障制度は持続可能性が問われている。だが、このテーマは選挙戦では極めて扱いにくい。なぜなら、「痛みを伴う改革」には支持が集まりにくいからだ。

現役世代は不安を感じ、高齢者は給付削減に警戒心を持つ。この対立構造を前に、多くの政党は「持続可能な制度を目指す」といった抽象的な表現に逃げがちだ。だが、制度が持たなくなれば、最も困るのは国民である。

与野党の公約比較──一致点と相違点

主要政党の公約を比較すると、表面的には多くの点で似通っている。「経済再生」「少子化対策」「安全保障強化」など、方向性は一致しているように見える。だが、政策の“手段”や“スピード感”には違いがある。

たとえば、

  • 消費税について、自民・立憲は現状維持、維新は「将来的引き下げ」
  • 移民政策に関して、参政党や保守系は反対色を強め、与党は受け入れ継続
  • 年金について、共産は「最低保障年金の創設」、維新は「積立方式への移行」

といった具合だ。つまり、「違いがない」のではなく、「違いが分かりにくい」のである。

国民に問われる“選ぶ責任”

今回の参院選では、私たち国民の「主体性」が問われている。誰が争点を決めるのか──それは政党やメディアではなく、私たち一人ひとりの問題意識である。

情報を受け取るだけではなく、問いを立てる側に回ること。自分の生活に照らして政策を読み解くこと。そうした姿勢が、政治を“自分ごと”に引き寄せる第一歩となる。

争点は“自分ごと”で見えてくる

「争点なき選挙」とは、争点が本当にないのではなく、「見せないようにされている」だけだ。メディアの見出しには出てこなくても、私たちの暮らしの中には確かに争点がある。

選挙は、未来の分岐点である。「なんとなく」の空気に流されず、自分の目で争点を見つけること。その力が、日本の政治を少しずつ変えていくはずだ。