はじめに──選挙が「遠い」と感じていないか?
私たちの日常に選挙はどれほど関係しているのか。2025年の今、そう問い直す意味は大きい。特に若い世代にとって、選挙は「関係のないもの」「何を変えるのかわからないもの」として扱われがちだ。投票率の低下、無党派層の拡大──こうした現象は単なる政治への無関心ではなく、「政治に希望を持てない」という諦めに近い感情かもしれない。
だが、それでも選挙は行われる。そして今年もまた、参議院選挙がやってくる。
参院選2025とは──改選議席とスケジュール
今回の参議院選挙は、2025年7月に実施される予定の通常選挙であり、任期満了に伴う定期的な選挙である。改選対象は全248議席中の半数、124議席(選挙区74、比例代表50)だ。これは単なる数合わせではなく、国政の今後6年間を決める、極めて重い選択を意味する。
参議院は衆議院と違い、解散がなく、任期が6年と長い。そのため、選ばれた議員は長期的な視点で政策に関与する。つまり私たちの未来──とりわけ「中長期的な制度設計」や「国の方向性」──に大きな影響を与えるのがこの参院選なのだ。
なぜ参院選が「空気選挙」と呼ばれるのか?
過去の参院選は、しばしば「争点不在」と言われてきた。大きな政権交代が起きることは少なく、注目度も衆院選に比べて低い。メディアでも「政権の中間評価」として扱われることが多く、「変化をもたらす場」ではなく「既存政治の是非を問うだけの儀式」と見なされてきた節がある。
しかし、そうした空気の中でこそ、大きな流れが静かに動いていることを見逃してはならない。
今回の選挙の「見えにくい争点」とは何か?
2025年現在、日本社会は複数の構造的課題に直面している。
- 止まらない少子化と高齢化
- 社会保障制度の持続性
- 実質賃金の低迷と家計の苦しさ
- 安全保障環境の不安定化
- 防衛費増額に伴う財源問題
- 地方の衰退と都市集中
- 外国人観光客による地域課題(観光公害)
これらはすべて、「政治の力でしか根本的に動かせない」問題だ。そして、各政党の公約には、こうした課題への方針がすべて明示されている。
つまり「今回は争点がない」のではなく、「私たちが争点に気づきにくい」だけなのかもしれない。
投票日は7月20日──“行かせたくない層”が見えてくる
今回の参院選の投票日は7月20日(日)。この日程設定は、政治的な戦略の一環と見る向きもある。
この日は3連休の中日にあたる。レジャーや外出に出かける人が多くなり、特に子育て世代や働き盛りの層が投票所から遠ざかる傾向があるのは明らかだ。選挙の予定を日常から切り離し、無関心を助長するような配置だとすれば、意図を疑わざるを得ない。
投票率が下がれば組織票が相対的に強くなり、現職や大政党が有利になる。つまり、「誰に投票してほしくないのか」が透けて見える日程でもあるのだ。
石破政権の「超・弱気な目標」が示すもの
今回の選挙で石破首相率いる政権は、「与党で過半数ギリギリ維持」を目標に掲げている。かつてのような「信任選挙」や「改革選挙」といった強気な姿勢は見られない。これは単なる謙虚さではなく、政権の求心力低下と不人気を物語っているともいえる。
もし与党が参議院で過半数割れすれば、重要法案の審議が滞ることは避けられない。衆議院にねじれがなくても、参院で否決されれば立法は止まる。これは、政治の停滞と政策の麻痺を意味する。
その影響を最も強く受けるのは、日々の暮らしの中にいる私たち一人ひとりである。
政治を「選ばない自由」の代償
「選挙に行かない」という行為は、中立でも無害でもない。むしろ、その一票の“空白”を誰かが埋めている。投票率が下がれば下がるほど、組織票や固定票を持つ層の意向が政治を決める割合が高くなる。
つまり、投票を放棄することは、「決める力を他人に委ねる」ことであり、「自分の未来を他人任せにする」という選択に他ならない。
私たちは何を選ぶのか──“人”か、“思想”か、“生活”か
選挙において「誰に入れるべきか」と迷うのは当然のことだ。だが、少なくとも以下の3つの観点で投票先を考えることができる。
- “人”として信頼できる候補か?
→ 地元の声を聞き、誠実な議員活動をしているか。 - “思想”として納得できる政党か?
→ 経済政策、外交姿勢、社会保障など、理念に共感できるか。 - “生活”として直結する政策か?
→ 子育て、物価、住宅、雇用など、日々の暮らしに効果があるか。
このように、自分にとっての「選ぶ軸」を持つことで、無力感からは脱することができる。
投票は「魔法」ではないが、「積み重ね」になる
一票を投じたからといって、明日すぐに社会が変わることはない。それでも、「投票」という行為は、社会との接点を持ち続ける手段であり、未来の方向を少しずつ変える力でもある。
無関心ではなく、関心を持ち続けること。政治を“選び続ける”こと。その積み重ねが、10年後、20年後の「日本のかたち」を決めていく。
おわりに──この国の主役は誰か?
政治とは、誰か偉い人が決めるものではない。私たちが選び、私たちが委ね、私たちが監視するものだ。
参院選2025は、きっと大きなドラマにはならないかもしれない。だが、静かに未来を変える「節目」にはなる。いまこそ私たちは問うべきだ。
この国をどうしたいのか──そして、自分はどう生きていきたいのか。