はじめに:結党から5年、今さら“叩き”が活発化?
参政党は、2020年4月に神谷宗幣氏が中心となって結党した保守系新興政治勢力。結党当初からネット世代を対象に政策発信を強化し、2022年の参議院選で神谷氏が比例代表で初当選を果たし、国政政党としての地位を得た。その後、2024年の衆院選で比例3議席を獲得するなど、一定の支持拡大を続けてきたが、いま「結党から5年」を経た時点でメディアによる追及・批判的報道が急増している。
なぜ今になって“叩き”が目立つようになったのか。批判の主なターゲットは神谷代表本人であり、政治姿勢や言説の過激さに加え、偶発的な問題発言が話題化している点が共通している。
1. 神谷代表への注目と報道の業態転換
新聞・ネットメディアでは、今年7月の参議院選公示以降、神谷代表へのフォーカスが高まっている。週刊文春や新潮は、「日本のトランプか?」「神谷代表の危うい実像」といった特集で露出を増やしている。
特に、神谷氏が演説で見せた「ロリコン発言」「高齢女性に関する差別的発言」や、「天皇側室制度の提案」などが注目され、これまで政治俳優としての知名度よりも“炎上要素”がむしろ売り文句になっている印象がある。
これはあくまでも「注目度確保」を目的とした報道の傾向であり、報じる側の戦略になっている可能性もある。
2. ネットでは「日本のトランプ」論の氾濫
SNSやネット掲示板では、参政党及び代表を「日本のトランプ」になぞらえる言説が広まっている。直接的な比較ではないにせよ、以下のような類似点が指摘されている:
- 過激発言と炎上商法
- 陰謀論的政策・反グローバリズム姿勢
- 既成メディアとの対立構造を演出する自己ブランディング
これらは、参政党支持層には一定の支持を得ているものの、同時に批判の対象として語られる要素ともなっている。特に、「神谷代表が話題を作ることで支持を獲得している」という構図は、トランプ現象と類似しているともいえる。
3. メロンパン発言との関係と位置づけ
ここで問題となるのが、神谷代表ではなく元参政党幹部で離党した歯科医師・吉野敏明氏による「メロンパン発言」である。
吉野氏は「メロンパンを食べた翌日に死んだ人を何人も見てきた」「小麦粉・砂糖・乳製品・植物油が“4毒”だ」といった趣旨の発言をし、健康危機感を煽る内容だったが、医学的・統計的根拠は一切示されていない。
彼は既に参政党を離れており、選挙運動にはかかわっていないにもかかわらず、この発言が「参政党の信頼性」を疑わせるものとして報道やSNS上で拡散された。
ファクトチェックの結果:
- 実際に「メロンパンを食べただけで翌日に死亡した」事例は確認されておらず、医学的根拠も不十分。
- 個人の主張であり、参政党公式見解とは無関係。
- それにも関わらず、参政党と混同される形で炎上した点が問題。
つまり、この件は神谷代表や党の政策とは別の“健康デマ”問題であり、本来は政治判断の材料にはならないが、メディアやネットの文脈では「党丸ごとの印象悪化材料」として扱われている。
4. 報道の低俗化と民主主義への警鐘
本稿で強調したいのは、問題なのは発言そのものではなく、「それが報道され、話題になる構造」そのものの危うさである。
参政党のように結党から5年を経て支持を広げていた勢力に対し、メディアはなぜ今さら過去の人物発言を持ち出して批判を浴びせるのか。
- 有権者の目を引く“炎上ネタ”を優先し、本質的な政策議論が後回しにされる
- 個別の発言・人物が党そのものを象徴するかのようなスクープ思考
- 言論空間が「話題づくり優先」の政治演出に飲み込まれている状況
こうした構造は、日本の民主主義の成熟度、特に政治リテラシーの不足を露呈するものだ。有権者が政策ではなく“話題”によって判断されれば、それはどちらかといえば滑稽であり、国際的にも笑いものになりかねない。
5. 結党5年、いま議論されるべきこと
参政党が国政政党要件を満たし、地方議員も含め徐々に議席を広げてきたこと(衆院3議席・参院2議席)からも、党の影響力は確実に見えてきている。
だが、それに対して議論すべきは以下のような本質的な視点である:
- 教育政策・憲法改正(創憲)・国家観・移民政策・食の安全政策などの具体的な公約や理念
- 一部で指摘される陰謀論体質や歴史修正主義的要素の検証
- 支持層の広がりとその動機(反ワクチン、反グローバリズム層など)
これらこそが、有権者が真に検討すべき内容であり、SNSの炎上や過去の奇論ではなく、政策と実績によって判断されるべきだ。
話題で政治が判断される愚かさ
神谷代表を中心に始まった「参政党たたき」は、実際にはすでに結党6年目を迎えた政党への過剰な注目とスクープ志向が生んだ現象だ。
同時にメロンパン発言のような、離党した個人の極端な言説に基づく炎上が、党そのもののイメージと混同される構造には注意が必要だ。それらは政策とは関係なく、ただ話題になっただけで報道されているにすぎない。
真に問われるべきは、報道の低俗化ではなく、有権者自身の判断力と情報リテラシーである。選挙とは、誰が国を前に進める力量を持つのかを見極める場であり、話題に踊らされて票を動かすようなことがあってはならない。
※本コラムは、報道動向および言説の構造に関する評論を目的としたものであり、特定の候補者や政党への支持・投票を促すものではありません。公職選挙法に基づく選挙運動には該当しない形で執筆されています。