かつて日本の家庭には「一家に一台」のテレビがあり、食卓では昨夜のドラマやバラエティ番組が話題の中心となっていた。だが2020年代に入り、そうした光景は次第に過去のものとなりつつある。今や若年層のあいだではテレビを「まったく見ない」「持っていない」という人も珍しくなく、代わってYouTubeやTikTok、SNSが主要な情報源となっている。

このような「テレビ離れ」は、単なる視聴習慣の変化にとどまらず、情報の受け取り方、影響力の構造、さらには社会意識の形成プロセスそのものを揺るがす変化でもある。本稿では、データや世代感覚をふまえながら、テレビとネットの現在地、そしてそれぞれのメディアが社会に与える影響について掘り下げていく。

「テレビ離れ」はデータで裏付けられているのか?

総務省やNHK放送文化研究所の調査によれば、ここ10年でテレビのリアルタイム視聴時間は全年齢層で減少傾向にあり、とりわけ20代以下の若年層では著しい下落が見られる。2023年のNHK国民生活時間調査では、10代のテレビ視聴時間は平日で平均30分未満、休日でも1時間前後という結果が出ており、テレビ視聴が「日常的でない」メディアになっていることがわかる。

一方で、YouTubeやSNS、動画配信サービス(Netflix、ABEMA、TVerなど)は年々利用率を伸ばし、若者の「情報収集」と「娯楽消費」の中心を担う存在となっている。

なぜ若者はテレビを見なくなったのか?

1. 時間と場所の制約がないネット動画

テレビ番組は放送時間が決まっており、リアルタイム視聴が前提となる。これに対し、YouTubeやTVerなどはいつでも、どこでも、好きなだけ視聴できる。スマホの普及により、視聴行動そのものが「自分中心」に変化したことが大きな要因だ。

2. 情報の即時性と「共感」

テレビニュースは速報性に限界があり、出演者も専門家やアナウンサーに限られる。一方、X(旧Twitter)やTikTokでは、事件が起きた直後に市民が動画やコメントを投稿し、「現場の声」や「感情の熱量」が即座に共有される。情報の「共感性」や「臨場感」でネットが勝るようになっている。

3. 広告とコンテンツの関係

テレビ番組は広告収入が前提であるため、スポンサーへの配慮が求められる。その結果、**政治・経済・社会問題における「踏み込み不足」や「同調的報道」**が批判されがちである。一方、ネットメディアやインフルエンサーは一定の独立性を持ち、特定の視点を鮮明に打ち出すことができる。これが若年層の信頼を集める要因になっている。

ネット世代の「情報源」はどこにあるのか?

いまや10代・20代の多くは、ニュースもエンタメも、「SNSで流れてきた」ことで知るのが一般的だ。中でもYouTube、Instagram、X、TikTokが主な情報経路となっており、Google検索やポータルサイトで「調べる」より、「流れてくる」「レコメンドされる」ことが前提になっている。

このような傾向は「プッシュ型情報摂取」とも呼ばれ、自分で選んだわけではない情報が日々タイムラインに表示されるという構造が支配的である。これは同時に、「情報バブル」や「フィルターバブル」の温床にもなっており、多様な視点に触れることの難しさも課題として浮上している。

テレビは本当に「終わった」メディアなのか?

一方で、「テレビは終わった」という言説には慎重な視点も必要だ。たしかに若年層の視聴は減少しているが、中高年層、とくに60代以上では依然としてテレビが主要な情報源である。また、大規模な災害や選挙、大事件が起きたときには、テレビが**「信頼性」「網羅性」「速報性」を兼ね備えたメディア**として再評価される場面もある。

さらに、コンテンツ制作力という点では、テレビは今も高い技術と人材を擁しており、地上波の番組がTVerやYouTubeに転載されることで、**ネットとテレビの「融合」**が進みつつある。

情報の影響力はどこにあるのか?

ネット世代がSNSやインフルエンサーから情報を得る一方で、テレビは「大衆の意識」を形成する力を依然として持っている。つまり、影響力の質が異なるのである。

  • テレビ:共通の話題、社会的認知の広がり、信頼性の高い一次情報
  • ネット:個別最適化、参加型・双方向、エモーショナルな訴求力

たとえば、社会運動や炎上、選挙キャンペーンなどでは、SNSが起爆剤となり、テレビが「社会現象」として可視化するという連動が見られる。この構造は、今後の世論形成にも大きな影響を与える。

最後に──「メディアを選ぶ力」が問われる時代へ

テレビかネットか、という二項対立ではなく、私たちに求められるのはメディアを選び取る力、情報を読み解く力である。情報過多の現代においては、単に「知っている」だけでは不十分であり、その情報が誰によって、どの意図で、どの文脈で発信されているかを読み解くリテラシーが求められている。

テレビ離れが進んでも、テレビの存在はまだ終わらない。ネットが主流になっても、情報の信頼性や検証性の課題は残る。私たちは今、情報との付き合い方そのものを問い直す時代に生きているのだ。